徒然草の作者。
吉田兼好(よしだけんこう)
別名:卜部兼好(うらべのかねよし)
鎌倉時代末期のお坊さんです。
冒頭文
徒然なるままに、日ぐらし、硯(すずり)に向かいて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂おしけれ
現代語訳
何とはなく一日中、硯に向かって心に浮かんだいろいろなことをとりとめもなく書きとめていると、なんだか不思議なほど気がおかしくなってしまいそうだ
国語の教科書にも載っている著名な冒頭分は、暗唱できる人もいることだろう。
日本の古典随筆としてよく知られている『徒然草』。
現代語訳を始め、解説本もたくさん出回っているのでその中身については簡単に知ることができる。
『徒然草』は鎌倉時代末に成立した作品である。著書自筆の原本は残っておらず、現存する最古の写本は、室町中期の歌人・正徹が写した本である。
では、著者は誰か。『徒然草』には著書名は記されていない。
そもそも『枕草子』でも『源氏物語』でも、仮名の散文作品には作者名を記さないのがふつうだ。公の文章としての漢文と比べて、仮名の文章はあくまでも私的なものであり、著書名を記す習慣がなかったのだった。
ところが、その著書は長い間、卜部兼好なる人物であると言われてきた。
卜部家は元朝廷の祭祀を司る家柄で、室町時代にはその末流である吉田家が繁栄して有名になった。ゆえに吉田兼好とも称されたが、正確には「卜部」氏が正しい。
また、この人は出家して「兼好法師」と呼ばれ、歌人としも活躍した――、と。
しかし近年、この常識を覆す発見が、慶応大学の小川剛生准教授によってなされ、学会に衝撃が走った。
いわく、卜部兼好なる人物は、室町期の吉田家が、自分の先祖に著名人がいたことにするために、系図をでっち上げて生み出したのだ、と。
こうして卜部兼好説は根本から考え直さねばならなくなったのであるが、当時兼好法師と呼ばれる人物が実在し、その人が著者だということには、今のところ異論はない。
徒然草という書名についてはどうか。
この秀逸なタイトルを付けたのは兼好本人かどうか、原本が残っていないから何とも言えないが、少なくとも現存最古の正徹本にはすでに、表紙のタイトルとしてあるから、本人の可能性は高い。
ただし、徒然草という書名はそれでよいとして、そこに徒然草という漢字があてられた例は、少なくとも室町時代の古写本類には見当たらない。このような当て字が行われるようになったのは、実は江戸時代以降と考えられる。
徒然はもともと「とぜん」と読み、「何のあてもなく、漫然としている」という意味を表わす漢語であった。それを和語のつれづれと同じ意味とみなして、誰かがこの漢字をあてたのである。
だから、徒然草という表記は、意外に新しい。
徒然落穂ひろい 全6回 ―西日本新聞―